今週のたんぽぽは石井哲代さんの名言をご紹介します。

以前、「キネナビ」でご紹介した映画
「104歳、哲代さんのひとり暮らし」
なかなかタイミングが合わず、先に本🔻
を読んでからの鑑賞でした。
101歳から104歳までの石井哲代さんに寄り添ったドキュメンタリーです。
ガーデンズシネマで今日、やっと会えました。
例えば31歳から34歳までの3年間とは訳が違う、
101歳から104歳までの3年間。
1人じゃなくても、生きていくことが年単位、いや日単位で試練になっていく現実を哲代さんはハキハキした声と極上の笑顔で伝えていました。その笑顔、時々、ちょっと無理してるかも?と感じるシーンもあったけど、その無理さえ哲代さんの真実なのでしょう。つまり、笑顔でいることへのこだわりです。
知り合いが医者に成りたての頃、人の寿命には生まれる前から神様が与えたものさし📏が付いててその長さは誰にも知らされず、変えることもできないのかもしれない。と呟いたことがありました。日々、命と向き合っているからこその呟きだったのでしょうが、40年以上過ぎても私の心の片隅に残っています。
この映画を観てその呟きが蘇りました。
神様は長さだけを決めて、その長さの間をどう生きるかまでは決めなかったのでしょう。
もっと生きたかったはずの人が早くに亡くなって、不健康な生活を続ける人が長寿で…
昨日までチョー元気だった人、毎年健康診断受けてた人、その逆…
年齢を重ねると、誕生日なんてちっとも嬉しくないと半分冗談半分本気で言いますが、哲代さんは104歳の誕生日まで一言も仰いませんでした。
大きな声で感謝を伝え、笑顔で🎂ろうそくの火を消すのです。
現実は笑顔でいられないことも山盛りのはず。でも笑顔の自分を演出するチカラが必要であると哲代さんから学びました。それこそが長さがわからないものさしで生きる得策なのだと。
このブログを書き上げたところで、熊本在住、97歳の女性写真家西本喜美子さんの訃報。
72歳から始めた写真でInstagramフォロワー数38.6万。先月末に入院なさった時のメッセージは死の予感など微塵もなく、文字通り昇天なさったかのような終い方でした。

以前、「キネナビ」でご紹介した映画
「104歳、哲代さんのひとり暮らし」
なかなかタイミングが合わず、先に本🔻

を読んでからの鑑賞でした。
101歳から104歳までの石井哲代さんに寄り添ったドキュメンタリーです。
ガーデンズシネマで今日、やっと会えました。
例えば31歳から34歳までの3年間とは訳が違う、
101歳から104歳までの3年間。
1人じゃなくても、生きていくことが年単位、いや日単位で試練になっていく現実を哲代さんはハキハキした声と極上の笑顔で伝えていました。その笑顔、時々、ちょっと無理してるかも?と感じるシーンもあったけど、その無理さえ哲代さんの真実なのでしょう。つまり、笑顔でいることへのこだわりです。
知り合いが医者に成りたての頃、人の寿命には生まれる前から神様が与えたものさし📏が付いててその長さは誰にも知らされず、変えることもできないのかもしれない。と呟いたことがありました。日々、命と向き合っているからこその呟きだったのでしょうが、40年以上過ぎても私の心の片隅に残っています。
この映画を観てその呟きが蘇りました。
神様は長さだけを決めて、その長さの間をどう生きるかまでは決めなかったのでしょう。
もっと生きたかったはずの人が早くに亡くなって、不健康な生活を続ける人が長寿で…
昨日までチョー元気だった人、毎年健康診断受けてた人、その逆…
年齢を重ねると、誕生日なんてちっとも嬉しくないと半分冗談半分本気で言いますが、哲代さんは104歳の誕生日まで一言も仰いませんでした。
大きな声で感謝を伝え、笑顔で🎂ろうそくの火を消すのです。
現実は笑顔でいられないことも山盛りのはず。でも笑顔の自分を演出するチカラが必要であると哲代さんから学びました。それこそが長さがわからないものさしで生きる得策なのだと。
このブログを書き上げたところで、熊本在住、97歳の女性写真家西本喜美子さんの訃報。
72歳から始めた写真でInstagramフォロワー数38.6万。先月末に入院なさった時のメッセージは死の予感など微塵もなく、文字通り昇天なさったかのような終い方でした。